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「コウちょうだい」と言われて、
どれを渡せばいいか固まったことはありませんか?
筋鉤(きんこう)は、手術の傷口を広げて、術野を見えるようにする器械です。
見た目はただの金属の板なので、新人のうちは違いが分かりにくいですよね。
この記事では、筋鉤の読み方と意味、扁平鉤・フリッチなどの種類、サイズの選び方と渡し方を、1年目の目線で整理します。
手術室で10年働き、診療科リーダーとして新人指導にもあたってきた私が、つまずいたところも正直に書きました。
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筋鉤(きんこう)とは?読み方と役割
結論から言うと、筋鉤は切開した傷口や組織を引っ掛けて広げ、手術する場所(術野)を見えるようにする器械です。
読み方は「きんこう」です。「筋鈎」と書くこともあり、「鉤」と「鈎」はどちらも「かぎ」を意味する同じ字です。
英語ではレトラクター(retractor=引くもの)と呼びます。現場では短く「コウ」「鉤(こう)」と呼ばれることが多いです。
何のために使うのか
外科医は、見えないところは切れませんし、縫えません。筋鉤は、皮膚・皮下脂肪・筋肉・臓器をよけて、操作する場所までの視野と空間をつくる役割を持っています。
開腹手術では、主に皮下組織や筋層を引くのに使います。整形外科では、皮膚から骨までの組織をよけるのにも使われます。
鉤を持つのは、多くの場合助手の医師です。術者が自分で持つこともあります。
器械出し看護師の仕事は、今の深さに合った鉤を、すぐ使える向きで渡すことです。
「鉤」と名のつく器械の仲間
筋鉤は、添付文書の分類では「鈎(こう)」という器械のグループに入ります。同じグループに、腹壁鉤・肝臓鉤・腸ベラ・二爪鉤なども含まれます。
どれも「引く・よける」ための器械ですが、形が違うのは、引く組織と深さが違うからです。次の章で、代表的なものを見ていきます。
筋鉤の種類|扁平鉤・フリッチ・鋭鉤の違い
種類を覚えるコツは、名前より先に「どの層を、どれくらいの力で引く鉤か」で分けることです。
| 種類 | 形の特徴 | 主な使いどころ |
|---|---|---|
| 扁平鉤(ランゲンベック) | 平らな柄の先がL字に曲がる | 皮下〜筋層、小さめの創 |
| フリッチ(腹壁鉤) | 幅が広く、丸みのある大きな鉤 | 開腹後の厚い腹壁 |
| 鞍状鉤 | 幅広で、鞍のように湾曲 | 腹壁などを広く引く |
| 二爪鉤・単鉤(鋭鉤) | 先が鋭い爪になっている | 皮膚や皮下を小さく引く |
| 腸ベラ・肝臓鉤 | 薄くて広い板状 | 腸や肝臓を面で押さえる |
| 自動開創器 | 傷口に固定して広げ続ける | 開腹・開胸など長い手術 |
名前や形は、メーカーや施設によって違います。自分の施設のセット表と、実物を見比べておくのがいちばんの近道です。
扁平鉤(へんぺいこう)
もっともよく使う筋鉤です。「扁平」は「平ら」という意味で、柄の部分が平らになっていることから名づけられています。
先端には、組織が滑り落ちないための小さな返し(曲がり)がついています。
鉤の幅と深さの組み合わせで、0号・1A・2A・2B・3Aなどのサイズがあります。術野の深さや広さに合わせて使い分けます(呼び方は施設やメーカーで異なります)。
フリッチ腹壁鉤
扁平鉤より幅が広く、丸みのある大きな鉤です。開腹したあとの腹壁のように、厚みのある組織を大きく引き上げるときに使います。
幅が広いぶん、力が一点に集中しにくく、面で支えることができます。術野が深くなってきた開腹手術の中盤で出番が増えます。
鋭鉤(えいこう)は「刺さる鉤」
二爪鉤や単鉤のうち、先が鋭い爪になっているものを鋭鉤と呼びます。皮膚や皮下を小さく引くときに使います(先が丸い鈍鉤の製品もあります)。
先端が刺さる器械なので、メスや針と同じく鋭利物として扱います。器械台では置き場所を決め、手渡しのときも爪を自分や術者に向けないようにします。
サイズの選び方|「今の深さ」を見る
鉤のサイズは、術者がいま操作している層の深さで決まります。
「コウちょうだい」とだけ言われたとき、新人が固まる理由はここです。鉤の名前を覚えていても、術野を見ていないと選べないからです。
| 手術の段階 | 操作している層 | 鉤の目安 |
|---|---|---|
| 皮膚切開の直後 | 皮膚・皮下脂肪 | 浅い扁平鉤、鋭鉤 |
| 筋膜〜腹膜の手前 | 筋膜・筋層 | 中くらいの扁平鉤 |
| 開腹したあと | 腹壁全体・腹腔内 | フリッチ、深い鉤 |
| 臓器の奥を見る | 腸・肝臓など | 腸ベラ、肝臓鉤 |
たとえば扁平鉤の2Aは、腹膜の手前までの操作で使われることが多いと解説されています。ただし、患者さんの体格や術者の好みで変わります。
浅すぎても深すぎても困る
鉤が浅すぎると、引っ掛けた組織がこぼれて視野が戻ってしまいます。
反対に深すぎると、奥にある血管や臓器を押したり傷つけたりするおそれがあります。「今の層にちょうどいい深さ」が正解です。
基本は2本1対で準備する
傷口は、上下や左右に同時に引くことで、はじめて大きく開きます。だから鉤は同じサイズを2本1対で用意するのが基本です。
傷の形によっては、左右で違う深さを使うこともあります。術前の器械展開では、2本の曲がり具合に差がないかも見ておきます。
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筋鉤の渡し方:柄を手のひらへ
筋鉤の渡し方の基本は、柄を術者の手のひらに収め、受け取ったままの向きで傷口に入れられるように渡すことです。
- 術野を見て、今の深さと、どちら側の創縁を引くかを確認する
- 鉤の先端に近い側を自分が持ち、柄を術者に向ける
- L字の先端の曲がりが、術者の引く方向(術者の手のひら側)を向くようにそろえる
- 術者の視界に入る横から、手のひらに柄をしっかり当てる
- 術者が握ったのを確かめてから手を離す
ポイントは、術者が実際に握る部分に、自分の手や指を重ねないことです。私の経験では、ここができる人は渡し方がうまいと感じていました。
「使うイメージ」が分かると渡せる
新人のころ、私は筋鉤の渡し方が意外と難しいと感じていました。鉗子は渡し方を覚えれば形になりますが、鉤はそうはいきません。
理由は、筋鉤を実際にどう使うのかのイメージがないと、どの向きで渡せばいいか分からないからです。
鉤は、術者が手前に引いて使います。だから「この人がこの創縁に引っ掛けて、手前に引くなら、曲がりはこっち向き」と、受け取った後の動きから逆算します。
助手に渡すときは、助手の立ち位置から見た向きで考えます。術者と助手は向かい合っていることが多いので、同じ向きで渡すと逆になります。
先輩の「0.5秒前」を盗む
新人のころ、先輩の器械出しを見ていて気づいたことがあります。先生が手を出す0.5秒前には、もう柄の向きを変えて待っていたのです。
「なぜ今、その鉤を用意したのか」をメモするようになってから、私の器械出しは目に見えて速くなりました。
先輩が見ているのは、器械台ではなく術野です。皮下を抜けた、筋膜が開いた、腹膜に入った。
その変化が、鉤を替える合図になります。
新人がやりがちな4つのミス
筋鉤のミスは、知識よりも「術野を見ていない」ことから起きるものがほとんどです。
ミス①:術者の背後や肩越しから渡す
筋鉤は金属のかたまりで、重さがあります。術者の死角から渡すと、術者が急に動いたときに顔や目に当たるおそれがあります。
【対処法】必ず術者の視界に入る横から、手のひらに確実に渡します。
ミス②:深さを見ずに同じ鉤を出す
前の手術と同じサイズを、確認せずに出してしまうパターンです。同じ術式でも、体格が違えば必要な深さは変わります。
【対処法】渡す前に、術野を一度見ます。迷ったら「2Aでいいですか?」と短く確認してかまいません。
ミス③:曲がった鉤に気づかない
強い力で引いたあと、L字の角度が開いてしまうことがあります。角度が開いた鉤は、組織が滑って引っ掛かりません。
【対処法】器械の展開時と片づけのときに、曲がりや傷がないかを目で見ます。添付文書でも、使用前に変形・亀裂・破損がないかを確認し、問題があれば使わないよう求められています。
ミス④:鉤の先端を上にして置く
L字の先端が上を向いたまま置くと、手を伸ばしたときに袖やガーゼを引っ掛けます。重いので、落とせば清潔も崩れます。
【対処法】先端は伏せて、柄を手前に向けて置きます。2本1対で置く場所まで決めておくと、目を離していても手探りで取れます。
鋭利物の置き場を決める考え方は、器械台の展開と配置のコツでくわしく解説しています。
引くこと自体が、体には負担になる
鉤で引くという行為そのものが、組織にとっては圧迫です。渡し方と同じくらい、この視点を持っておくと器械出しが変わります。
引かれている側で起きていること
- 血が流れにくくなる:強く長く引かれた筋や臓器は、その間ずっと圧迫されている
- 神経が伸ばされる:開胸器で肋骨を広げると、肋間神経が引き伸ばされる
- 組織がつぶれる:鉤の縁が細いほど、同じ力でも一点に力が集中する
腹腔鏡下の胃切除では、肝臓を圧排したあとに、一時的に肝機能の数値が上がることがあると報告されています。
扁平鉤を使って面で肝臓を押す工夫をした報告では、愛護的に圧排でき、術後の肝酵素の上昇も軽かったとされています。
同じ深さなら、幅の広い鉤のほうが力は分散します。術者が「もっと大きいの」と言うのは、視野のためだけでなく、力を分散させたいこともあります。
人の手と、自動開創器の違い
助手が手で引くとき、手は持ち替えや疲れで少しずつ緩みます。結果として、圧が逃げる時間ができます。
自動開創器は、かけた力がそのまま最後までかかり続けます。視野は安定しますが、圧の逃げ場がないということでもあります。
長い手術で自動開創器が入っているときは、外回り看護師とも共有しておきましょう。術後に「傷ではないところが痛い・しびれる」という訴えにつながることがあるからです。
助手の手が下がったら鉤を替える
長時間の手術では、助手の引く力は必ず落ちてきます。術者が同じ場所を何度ものぞき込むようになったら、視野が足りていません。
このとき必要なのは、たいていもっと深い鉤か、もっと幅の広い鉤です。言われる前に用意しておけると、手術が止まりません。
「続けられる働き方」から先に決めたほうが、早いこともあります
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筋鉤を覚えるまでの、私のつまずき
筋鉤は、名前ではなく「形と用途」で覚えると、一気に分かるようになります。
新人時代の私は、毎日泣きながら帰っていました。初めて1人で器械出しに入った日は、何も言わずに手を差し出す執刀医に、何から渡せばいいか分からず泣きそうになりました。
そんなとき先輩に言われたのが、「器械は何をしたいのか考えてみな」という言葉です。
筋鉤に当てはめると、こうなります。浅い層を小さく引きたいから、小さな扁平鉤。
厚い腹壁を大きく持ち上げたいから、幅の広いフリッチ。
形には必ず理由があります。理由が分かると、名前を忘れても「この場面ならこの形」と手が伸びるようになりました。
覚え方の3ステップ
- 術前に、手術の流れを紙に書き出し、どの場面でどの鉤が出るかを書き込む
- 術中は、先輩や術者がどの層で鉤を替えたかを見る
- 術後、着替える前の5分で、替えたタイミングをメモに残す
術者が見ている景色を知るために、執刀医向けの手術書を読むのも役に立ちました。術者と同じ目線で術野を見られると、次に何が必要かが分かってきます。
器械の覚え方や質問のしかたで悩んでいる方は、手術室の新人が覚えられない・つらいときも読んでみてください。
よくある質問
筋鉤について、新人のうちに出てきやすい疑問に短く答えます。
Q. 筋鉤と筋鈎、どちらが正しい?
どちらも使われます。「鈎」は「鉤」の異体字で、意味は同じです。
添付文書や器械名では「鈎」と書かれていることも多いです。
Q. レトラクターと筋鉤は同じもの?
レトラクターは、組織を引いて視野をつくる器械全体を指す言葉です。筋鉤はその代表で、自動開創器もレトラクターの一種です。
Q. 筋鉤もカウントの対象?
器械のカウントに含めるかどうかは施設の基準によります。体内に入る器械なので、自分の施設のカウント表を確認しておきましょう。
Q. 開腹手術で鉤が変わる順番は?
一般的には、浅い扁平鉤から始まり、腹膜を開けたあとにフリッチや深い鉤へ移ります。開腹の流れは開腹手術の器械出しチェックリストにまとめています。
まとめ:筋鉤は「術野を見て」選んで渡す
筋鉤の器械出しで大切なのは、今の深さを見て選び、受け取ったまま使える向きで渡すことです。
✅ 筋鉤のマスターチェック
- 扁平鉤とフリッチの違いを、形と用途で説明できる
- 術野の深さを見て、鉤のサイズを選べる
- 柄を手のひらへ、先端を引く向きにそろえて渡せる
- 術者の死角から渡さず、握ったのを見てから離せる
- 展開時と片づけで、曲がりや傷を確認している
- 鋭鉤を鋭利物として扱い、先端を伏せて置いている
はじめから「コウ」と言われて迷わず渡せる新人はいません。私も、何を渡せばいいか分からず固まっていた時期がありました。
まずは次の手術で、鉤が替わった瞬間に、術野が何層目に入ったかを見てみてください。焦らなくて大丈夫です。
その一回の観察が、1年後の自信につながります。
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参考文献
- 株式会社フジタ医科器械.一般外科用鈎(一般医療機器 鈎 JMDN 35105000)添付文書 第6版.2023年1月.PMDA 全文PDF
- 黒須美由紀.筋鈎(ランゲンベック扁平鈎)|鈎(1).看護roo!「器械ミュージアム」(協力:高砂医科工業).全文
- 長谷川公治,星智和,大原啓,ほか.腹腔鏡補助下胃切除術における簡便な肝圧排法の工夫.北海道外科雑誌.2013;58(2):43-46.全文(旭川医科大学リポジトリ)
- 日本手術医学会.手術医療の実践ガイドライン(改訂第三版).手術医学.2019;40(Suppl).全文PDF
※2026年3月に改訂第四版が発行されています(Web非公開)。本記事は公開されている第三版で内容を確認しています。
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