誰かが絶対に正しい、なんてことはない。
現場にいると
その組織の中で「強い」とされる人の意見が
優位となり、
それがその組織内で「正解」とされてしまうことがある。
そんな現場の中で、
その強い意見についていけない人、
器用にこなせず、意見に逆らう形となり、目の敵にされてしまう人、
意見の強さに潰されてしまう人。
そういう人を、この10年ずっと見てきた。
現場で感じた限界
恥ずかしながら、私は何もできなかった。
今なお、つらい思いをする、その子の話を聞くことはできる。
でも、この「組織」というものに対して
一個人が1人で声を挙げたところで、
どうにもならない現実があった。
そしてそれは、何も役職のない1年目や2年目だけではない。
管理職も同じなのだと思う。
管理職という立場になったからこそ、言えないことがあるということ。
全体の正解を考えた結果、「本当」を隠して伝えなければならないことがあるということ。
そして、役職無いが自分よりも経験年数が高い年上のスタッフをどう管理してくのかということ。
組織に存在する、見えない「何か」
組織というものに存在する、
見えない、でも確実に存在する「何か」は
立場が弱い者の心を簡単に潰す。
そして、
その組織で生き抜いた人は
かつて先輩からされたことを、
同じように後輩へ繰り返す。
良い循環が起きているならば、それで良い。
でも、そこに悪循環が起きているなら
どこかで流れを止めなければならない。
立ち向かうためには?
何が正しくて、
何が間違っているのか。
大切なのは常に「自分がいつも正しいと思い込まない」こと。
人には常に、一旦立ち止まって考えるきっかけが必要だと感じている。
空気が悪い中で、
現場の中で良いエネルギーを発する人が、たった1人しかいなかったら、
その1人は相当頑張らないと、流れに逆らえないけど
2人、3人…10人、20人と増えていけば
現場の空気感は変わりやすくなる。
今1年目の新人さんが、先輩から丁寧に指導されたとすれば、
10年後、当時1年目だったその子は、新たに入る1年目の子に、きっと丁寧に指導できるはず。
いや、指導ができる・できない、というより
「指導しようと思える」という表現の方が正しいかもしれない。
酷い扱いを受ければ、酷い扱いをする人になる
自分が1年目の時に酷い扱いを受けておいて、指導者の立場になった時に「1年目の新人に優しくする」というのは、
自分の中に強い意志が無いと、なかなかできない。
その悪循環の中での連鎖をどこかで断ち切って、
「何かをしてあげよう」気持ちさえ持つことができるようになれば、指導技術がどうであれ、
「思い」それ自体は伝わるもの。
これが続いていけば、
未来は少し、変わるかもしれない。
理想論、だけど私が叶えたい未来
現場が働きやすくなれば、そもそも「辞めたい」なんて思う人も、きっと少なくなるよね?
これはただの理想論かもしれない。
でも私は、そんな未来が見てみたいと思った。
だって、せっかくオペ看やるなら、同じ仕事内容なら、楽しくやりたいじゃん?
オペ看めろんはこんな人のための発信
人間関係がしんどくて、毎日ギリギリの状態でなんとか頑張ってる人、
「自分が新人の時はもっと厳しかったのに、今の新人は甘やかされてて正直腹が立つ」と、今の指導方法になんだかモヤモヤしている人、
管理職に就いたけど、自分よりも経験年数がある年上のスタッフの「言いたい放題の発言」に頭を悩ませる人、
それでも、手術室看護の未来に希望を持ちたい人
オペ看めろんの発信は、そんな人のための発信でありたい。
直接的に「起きている問題そのもの」を解決することはできないかもしれないけど
土台となる組織の空気から変われば、そもそも「その問題」は起こりえなかったかもしれない。
私はその、土台となる組織の空気が変わる
1つのきっかけになれたら良いな、なんて。
現場で1人1人が楽しく働けるなら、そもそもいじめもハラスメントも起こりようがないはずだから。
1つの組織が、同じビジョンを共有して、みんなが同じ方向を向いて高め合っていける組織になったら。
そんな未来を夢見ながら。
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